お知らせ NEWS
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2021.10.12(火)
2021年8月テーマ
平和創造に向けたスポーツの役割とは何か
:改めて、オリンピックの意義を考える
9月18日(第3340回)
「資本主義リアリズム」とオリンピック
―オリンピック・ムーブメントの「転換点」としての2020東京オリンピック―
市井吉興氏(産業社会学部教授/国際平和ミュージアム副館長)
講座では、まず、2020年東京オリンピック後の「オリンピック」として、ほぼ毎年計画的に開催されるメガイベントの様子を紹介し、それらの開催都市や周辺地域における開発計画、経済計画を後押しする形があることの紹介がありました。とりわけ今回のオリンピックがポストコロナ、ウィズコロナ経済社会の再建に位置付けられていることが分かります。
次に、新しい生活様式とオリンピックの結びつきについて、「新しさ」を求め、それに積極的に従う様が、生活の規律化を通した「管理」そのものであり、1940年の「新体制運動」といった施策を彷彿とさせる状況であり、オリンピックの開催がこの「新しい生活様式」の徹底の大きな役割を果たしたことが紹介されました。
そして、オリンピック分析の視点としての「資本主義リアリズム」について、かつてのオリンピック研究がオリンピック賛歌的であったものから、オリンピックが生み出す諸問題(商業化、都市開発問題、市民生活監視、ジェンダー・セクシャリティ、環境問題)から「資本主義分析」の必要性が提起され、その視点として「惨事便乗型資本主義」「祝賀便乗型資本主義」が紹介されました。資本主義を所与のもの、変えられないものとしてとらえ、「惨事便乗型資本主義」「祝賀便乗型資本主義」により、これまでにできなかったことを、惨事や祝賀の中で推し進める、民主主義を抑制し、国家が一部の企業のためのシステムを作り出す、そのような中で行われたのが今回のオリンピックなのです。
最後に資本主義リアリズムとオリンピックとして、今回のオリンピックがCOVID19の感染拡大収束後の社会構造に向けた「ショック・ドクトリン」として実施されたことが紹介されました。緊急事態宣言下という例外状態を常態化する中で、国民の生活者としての権利の制限、終了後に生じる諸問題の国民への押し付けの中でオリンピック産業の保護を強力な国家の力で推進されたのです。
8月7日(第3339回)
85年前のこの月―「民族の祭典」(1936)を振り返る
有賀郁敏氏(産業社会学部教授)
講座では、最初にレニ・リーフフェンシュタール制作の映画「オリンピア」から「民族の祭典」(第11回夏期オリンピックベルリン大会(1936)の記録映画)の冒頭部分の上映があり、その後以下の5項目について講演がありました。
1.ナチズムの基本的特質について考える
2.ナチズムの余暇政策について考える
3.余暇政策の中で「歓喜力行団」について考える
4.ベルリンオリンピックについて考える
5.あらためてナチズムについて考える
ナチズムを運動としての側面から見ると、大衆運動として人々がナチを下支えし、支持していた側面があり、特に「歓喜力行団」は国民の余暇、スポーツの振興に力を入れていました。ベルリンオリンピックは国民のナチ支持の中で開催されたオリンピックでした。また、ベルリンオリンピックはナチズムの基盤強化期・安定期での開催、ナチとスポーツ団体との蜜月期における開催でもあり、映画でも紹介されているオリンピアから開催都市ベルリンまで初めて聖火リレーが行われたこと、ナチズムが重視するリアルな生を体現する身体論がオリンピックの中で強調されたことも紹介されました。
しかし、一方で、ナチはユダヤ人、シンティ・ロマ、性的マイノリティ、障がい者、政治犯、労働不能者、アルコール中毒者など600万人以上を虐殺した事実(ホロコースト)があり、スポーツ医学の分野では優勢思想に基づく人体実験が行われていたことも事実です。
最後に、改めて、ナチズムをスポーツの位相から考えるとき、以下の4点の現在にも通じる課題があることが強調されました。①集団を破壊し、個人主義が徹底され(アトム化)、人々のナチへの従属が進められたこと、②生活と労働の世界に国家権力が浸透したこと、③人々が優生思想の受容によりナチを下支えしたこと、④弱者に対する暴力を肯定したこと。