お知らせ NEWS
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2019.03.06(水)
12回目のメディア資料研究会では、平和教育研究センターリサーチャーの大野光明氏、番匠健一氏が、「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」が中心となって、1969年に開催した「反戦のための万国博(ハンパク)」について、立教大学共生社会研究センター所蔵の文書史料などを中心に報告しました。
ハンパクは、南大阪ベ平連・関西ベ平連を中心に構成されていた反博協会が主催し、1969年8月7日から11日にかけて、大阪城公園で開かれました。「人類の平和と解放のために!」をテーマに掲げるハンパクは、翌年に迫っていた日米安全保障条約の自動延長を批判する反戦反安保運動の一環であり、大阪万博に象徴される体制的文化を乗り越え、真の人民の文化を創造することを目的に開催されました。ハンパクには全国の地域ベ平連・大学ベ平連の他に、日本大学・東京大学などの全共闘、フォーク・ゲリラ、京都橋の下大学、ハンパクキリスト館、アンチ万博共闘会議、らいの家といった約200団体が全国各地から集まり、参加者は延べ6万人に上りました(主催者発表)。
今回の報告は、大野・番匠両氏が、2018年に実施した立教大学共生社会研究センターでの史料調査の成果を踏まえたものでした。所蔵されていた「吉川勇一文書」「鶴見俊輔スクラップブック」に収められていた『ハンパクニュース』や『日刊ハンパク』などの文書史料に基づきながら、ハンパクの全体像が報告されました。それと共に、ハンパクと地域ベ平連との関係性や、1960年代末のフォークソングや映画、演劇といった文化運動とのつながりなど、ハンパクを考える上で重要と思われるいくつかの論点を提示しました。
まず大野氏は、ハンパクの発案者である南大阪ベ平連が、それ以前に「反戦文化フェスティバル」(1968年10月6日)などを開催し独自の「反戦文化」を創り上げており、その反戦文化の上にハンパクが企画されたとして、ハンパクの前史に着目する必要性を指摘しました。また、京都ベ平連の事例を紹介し、「三条橋の下大学」や「反戦祗園祭」(1969年7月27日)といった運動がハンパクに流れ込み、それぞれの地域ベ平連独自の運動が持ち込まれ、ハンパクという「広場」を通じて、広がり・連なりを持っていたと説明しました。
次に番匠氏は、ハンパク開催中に会場内で頻発した、運営を巡る事務局と参加者との対立(「ハプニング」「造反」)に注目しました。プログラムを円滑に進行したい事務局側と、テントでの討議と人間の連なり、すなわち「ひろば」としてのハンパクを求める参加者との間でズレが生じていたと指摘し、それはベ平連の運動形態を巡る「量」と「質」との間の葛藤でもあったとしました。また、ハンパクが開催された大阪城公園が、戦時中、大阪砲兵工廠だったことから、その場所の意味も問う必要があると述べました。
最後に今後について、大野氏は、ハンパクの運営を担った関係者への聞き取りの実施と、会場で多数上映された映画とハンパクとの関係性を調査する必要があると述べました。これらの成果を基に、2019年夏には、ミニ企画展示「ハンパク1969―反戦のための万国博―」が予定されており、開催に向けての貴重な報告となりました。
第12回メディア資料研究会
「文書史料からみたハンパク(反戦のための万国博)」
日時:2019年2月21日(木)14:00~18:00
会場:立命館大学国際平和ミュージアム 2F会議室
発表:大野光明(滋賀県立大学准教授/平和教育研究センターリサーチャー)
番匠健一(同志社大学<奄美-沖縄-琉球>研究センター研究員/平和教育研究センターリサーチャー)
参加者:9名