立命館大学国際平和ミュージアム 平和教育研究センター Peace Education and Research Institute, Kyoto Museum for World Peace, Ritsumeikan University

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12月8日(土)、科研費挑戦的萌芽研究「平和博物館における戦争体験継承のための展示モデル構築」プロジェクトの第11回ワークショップ「くにたち原爆・戦争体験伝承者講話」を開催しました

2018.12.14(金)

 

 12月8日(土)、科研費挑戦的萌芽研究「平和博物館における戦争体験継承のための展示モデル構築」プロジェクトの第11回ワークショップ「くにたち原爆・戦争体験伝承者講話」が開催されました。
 前回のワークショップ※1では、戦争体験を継承するための取り組みの中でも、ある体験者の語りそのものを別の人が継承する特徴的な実践として、「伝承者」による戦争体験継承の紹介と分析が行われました。
 今回は、伝承者の実践として、「くにたち原爆・戦争体験伝承者」である沢村智恵子さんをお招きし、広島で被爆した平田忠道さんの体験の伝承講話を行っていただきました。
 小学校の授業の中での展開を前提とした沢村さんの講話は全体で約35分です。初めに、原爆の威力と投下の経緯についての説明(その中では京都が原爆投下候補地であったことにも触れておられました)、続いて、当時15歳だった平田忠道さんと家族の様子、8月6日に勤労動員先から市内へ戻り、自宅や救護所で家族を捜し求めた平田さんの体験を、被爆者が描いた原爆の絵や地図を交えたスライドを使って語りました。平田さんは、6日は市内に入ることができませんでした。翌日自宅跡にたどり着き、その焼け跡で母と弟の消息を夕方まで待ちました。防火用水槽に自分の無事を記して公園で同級生と夜を明かし、その後も毎日自宅跡に行ってみたものの母や弟の姿はなく、市内の救護所を訪ね歩き、母と弟に似た母子を一組ずつ確認しました。しかし、見つけることはできませんでした。
 沢村さんは、爆心地で家族を捜し求めた平田さんの体験は、自身の家族(祖父とおじ)の体験とも重なると感じています。そして、おじの大隅美昭さんが被爆し、祖父が美昭さんを捜し求めた体験についても語られました。美昭さんは「いしぶみ」※2にも描かれた広島二中の生徒で、建物疎開作業中に被爆しました。祖父は美昭さんを捜しましたが、弁当箱の蓋だけが見つかり、それが唯一の形見になりました。
 伝承者になることで平田さんからバトンを渡された。そして家族からもバトンを渡されていたことに気が付いたと、沢村さんは語られました。
 また、「くにたち伝承者」の事業や伝承者養成についての紹介もあり、参加者からは、体験の無い世代が戦争体験を伝えていく上でのヒントになった、伝えていくことの大切さを感じたとの感想が寄せられました。


※1 第10回ワークショップ「戦争体験『語り』の継承―広島、長崎、沖縄、国立を事例として―」講師 外池 智(秋田大学)、2018年11月17日開催
※2 「いしぶみ」1945年8月6日、勤労動員中に原爆に被災した旧制広島県立第二中学校1年生の記録。1969年ドキュメンタリー番組が制作され、後に書籍化された。

 

科研費挑戦的萌芽研究「平和博物館における戦争体験継承のための展示モデル構築」
第11回ワークショップ
「くにたち原爆・戦争体験伝承者講話」
日時:2018年12月8日(土)14:00~15:00
場所:立命館大学国際平和ミュージアム 2階会議室
報告:沢村智恵子氏(くにたち原爆・戦争体験伝承者)
参加者:25名

 

▲沢村智恵子氏

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