『昭和十六年当用日記』(1941年1月1日~12月31日)は、茨木のペンキ工場で働いていたある労働者の日記です。この日記の持ち主である「章司」は、工場労働者として「三度のパンを得るため」だけに働く日々のなかで、ときに「食ふだけの労働」よりは「軍需産業で働きたい」と記すほどに、人生の意味を見出せずにいました。彼がそうした労働の憂さを晴らすためには、映画と酒の存在が不可欠だったことも、毎日欠かさずに綴られたその日記からはみてとれます。
1941年(昭和16)12月8日、「章司」は早朝のラジオでアジア・太平洋戦争開戦の一報を聴きます。「意義ある一日だ!俺応召の日!一日も早からん事を只すら祈る!……銭湯ののち、末廣映画劇場へ行く!インチキ映画のため半退する!映画見物どころではない!」。彼は開戦から数日ほどは、「戦線を偲びて早くより床に入る」などと時局に応じた生活態度もみせていましたが、相変わらずの労働生活が続くなかで、次第に「昨夜!泥酔!……頭痛を耐えて出社する!」「昨夜の焼酎!……酒は見るのも嫌だ!」と、痛飲の習慣だけは捨て去ることができませんでした。
日記という資料には、誰に読まれるとも意識されない個人の日常的な体験が綴られています。『昭和十六年当用日記』は、「章司」という一人の工場労働者の日常のなかに、戦争という出来事がどのように映じていたのかを知り得るための貴重な資料となっています。