「吾等のメロディー」は、立命館大学予科の学生たちが1931年に自主製作した短編映画です。16ミリフィルムに収められた本作品には、英語の授業中に居眠りをする学生や学生同士の喧嘩のシーンなど、当時の立命館大学生の何気ない学生生活の挿話が、本人たちの寸劇を交えてコミカルに描かれています。その一方で作品からは、満州事変勃発にともない彼らの学生生活のなかにも、少しずつ戦争の暗い影が射し込みはじめていたこともみてとれます。
画面は突然、学生たちの穏やかな学生生活を断ち切るかのように、満州事変を報じる「新聞号外」を映し出します。校内には軍歌が張り出され、教壇には配属将校が立っています。将校は「蒋介石」「張学良」「国際聯盟」などと書かれた黒板の前で、地図上に浮かぶ「満洲」を指差します。そのとき将校が叫びます。「“そこで寝て居るのは誰だ‼︎”」。その声に、教室には緊張が走ります──。
しかし、本作品で学生たちが本当に描きたかったのは、むしろその将校の叱責のあとに教室を包み込んでいった、学生たちの「笑い」にこそあったようです。軍事教練中に居眠りをするクラスメートをも一笑に付してしまう、そんな「自由」の残り香が、このときまだ大学の教室のなかには漂い続けていたことを感じさせる一幕です。
戦時下のラジオ体操 ── 京都市北区小山下総町
ここには、ラジオ体操に集う小山下総町西部(現在の京都市北区小山下総町)の人たちが写っています。みなでラジオ体操のポーズをとり、正面奥には大谷大学が写り込こんでいます。これは、内閣情報部編『写真週報』28号に掲載された投稿写真で、町内の出征軍人に送る「写真だより」として撮影されたものです。「私たちはこうして、元気一杯で銃後(じゅうご)を護っていますから御安心下さい」と掲載されました。
また、1938年(昭和13)10月には、内閣情報部より、小山下総町のラジオ体操の会に表彰メダルが贈られました。同年8月より毎朝ラジオ体操に取り組んだことが、「国民体位向上運動に翼賛する」と評価されたためです。この写真が『写真週報』に取り上げられたことが政府の表彰につながりました。
もともと健康のために考案されたラジオ体操ですが、日中戦争がはじまり、国家総動員体制が敷かれる中、ラジオ体操によって達成すべき健康は、個人のものではなくお国のためのものとなり、ラジオ体操は総動員体制の象徴的行為として利用されていきます。その頃の京都を伝える貴重な一枚です。