当館では教育普及活動の一環として博物館実習生を受け入れています。このたび2021年1月12日から6日間にわたって、今年度2回目となる博物館実習を行いました。 |
雑誌『週報』第382号
昭和19年(1944)2月16日
内閣情報局により編集・刊行された雑誌『週報』は、国民に対し政策の正当性を説明し、それに従うよう強調するものであった。当資料には昭和19年時点での戦況やそれに伴う閣議決定、配給の予定など5つの記事が掲載されている。
手紙(封筒なし)
20世紀前半
東京の工場で勤労中の姉の那々子(ななこ)が、布佐(ふさ)(現千葉県我孫子市)に疎開している妹の瓔子(ようこ)に宛てた手紙。母が布佐に疎開し家庭が淋しくなったことや、勉学に励むよう伝えている。また、布佐に行く時はお土産を持参するとも書いてあり、姉の妹への想いがつづられている。
ズック(上履き)
1945年頃
広島市立中学校(当時)1年生古田文人君の遺品。広島市小網(こあみ)町で建物疎開作業を行っていたが、8月6日の原子爆弾投下により他の学徒312名と共に亡くなった。このズックは被爆のためか全体的に硬くなっており平らに潰れている。
動員日誌
1945(昭和20)年5月30日~8月30日
愛知県の豊川海軍工廠(こうしょう)へ動員されていた立命館大学勤労報国隊(きんろうほうこくたい)の日誌。学徒の欠勤理由や寮の様子、帰省者の情報、その日の特記事項などが記されている。
腕章:立命館大学勤労報国隊/愛知中学学徒勤労報国隊
1942年(昭和17)~1945年(昭和20)頃
立命館大学と愛知中学の生徒が使用した腕章。学徒動員時には腕章をつけることを義務付けられていた。腕章の表面には、使用者の所属先と動員先の工場名を見ることが出来る。