立命館大学からも、多くの学生が戦場に行っています。
兵役のために休学(兵休)した学生の名簿、学籍の異動簿など、兵役を理由に退学、休学した学生が判明しています。また、朝鮮、台湾籍の学生も例外ではありませんでした。
1943年の学徒出陣は主に文科系の学生を対象としていましたが、理工系の学生も、戦争と無縁ではありません。学徒勤労動員として軍需工場へ派遣されたり、大学で軍需関連の研究に従事しながら休暇期間には軍隊での教育を受ける陸軍見習い士官、依託学生という制度があったり、志願兵として応募するものもいました。
立命館大学では、戦後50周年を迎えるにあたり、1994年に大々的な学徒出陣、学徒勤労動員者に関する調査を行いました。学業を中断して戦地や軍需工場へ動員され、その結果として戦没した学生の数や実態について明らかにすることが目的でした。そして1996年には、除籍という厳しい措置をとった朝鮮、台湾籍の学生に対する名誉回復と卒業証書の授与が行われました。
終戦後の混乱でまとまった大学関連の史料が乏しいなかでも、残されたわずかな名簿類は多くのことを物語っています。
学徒出陣の実態調査で使用した名簿、簿冊類
兵役休学者イロハ名簿
1940(昭和15)年~1945年
1994年、立命館大学で行われた調査で見つかった戦時中の名簿の一つ。学生の名簿欄に、「兵休」「兵役により退学」「特別志願兵」として記録されている。こうした学生の数を丹念に調べ、15年戦争で大学から戦場へ向かうことになった学生の数が判明した。
あわせて連絡先が判明した元学生にアンケート調査を実施し、学徒出陣だけでなく勤労動員学徒などの実態について知ることとなった。
また「退学、除名、兵休、復学整理簿」には陸軍の特別志願兵に志願しなかったことを理由に、除籍(除名)となった朝鮮、台湾籍の学生の名が載っていることも明らかになった。除籍(除名)処分にされた学生は32名(のちに33名と判明)。一方で志願した学生もいた。
これに対し、1996年3月20日、大学は除籍(除名)処分の取り消しと名誉回復を行い、所在が明らかになった韓国籍9名と台湾籍1名の元学生に対して、特別卒業証書を授与した。